仏教用語集
あ行
愛別離苦(あいべつりく)
私たちは人とかかわりあいながら生活しています。クラス替えや転校、あるいは異動や転勤は、親しい間柄であればあるほどつらい別れを味わうことになります。ちょっとした心のすれ違いや意見の相違で仲たがいとなり、気まずくなってしまうこともあります。まして思いを寄せる人からのつれない態度や恋人と別れは耐え難いものです。とりわけ愛する人との死の分かれは、筆舌につくせません。それが愛別離苦です。
怨憎会苦(おんぞうえく)
「息が合う」「馬が合う」「そりが合う」人たちばかりが周囲にいてくれたらよいのですが、人間は千差万別百人百様十人十色ですので、むしろ自分と「息も」「馬も」「そりも」合わない人たちのほうが多いと思ったほうがよいでしょう。上司VS部下、先輩VS後輩……。人生は、そのように会いたくない人とも出会わなければなりません。それが怨憎会苦です。
か行
求不得苦(ぐふとっく)
文化や芸術、社会や思想がよりよく発展・成熟していくためには欲が必要です。気をつけなければならないのは、人間の持つ欲望や欲求というものにはキリがなく、「もっともっと」と際限なく求めてしまう傾向があることです。満たされているのに、満たされていないと感じてしまう不足感は苦を無限に増幅させ、そこから逃れなくなります。そのことを求不得苦といいます。
五陰盛苦(ごおんじょうく)
「五陰」とは「色(かたちあるもの)は、受(ものごとを感受し)、想(感受したことから固定観念が生まれ)・行(固定観念は意志や分別の基準となり)・識(それが知識となっていく)」の五つをいいます。縁起の法によれば、そこには実体がなく、仮のものでしかないのですが、あたかも自我であるかのように思い込むことで苦が生じてきます。要は自分の身も心も自分の思い通りにならないということです。そうなると「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」は、この「五陰盛苦」に集約されるといってもいいでしょう。
さ行
諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)
まず、この世の中のすべてのものごとには「常」というものはなく、いつも変化しています。それは、ものごとがいつもほかとの関係によって生じたり起こったりしているからです。つまり、そのときどきの縁によって変化し続けているのです(諸行無常)。
また、この世のなかのすべてのものごとは、必ずどこかで関連し関係しあっています。つまり、人や生き物、ものや自然は、お互いに助けあったり、協力しあったりしながらつながりあいながら存在しているのです(諸法無我)。
私たちは、目の前の出来事に、一喜一憂し、ときにはあきらめたり絶望したりしがちです。ですが、ほんの少し見方を変えてみれば、自分の過去の過ちも目の前で起きている出来事も、そのことを出発点にして未来に前進することができるのです。
いままでの自分を振り返り、人さまとのふれあい方やものごとの処し方、そのときどきの心の反応や働きを、仏さまの教えに照らして見つめ直し、反省し、心や行動をあらためてみませんか。そして、目の前の人と一緒に悩んだり苦しんだり、励ましあったり喜びあったりのふれあいを心がけていけば、人さまの心にも希望を与えることができるでしょう。
四法成就(しほうじょうじゅ)
「如来の滅後、どうしたら『法華経』の教えの功徳を得ることができますか」という普賢菩薩の質問に対して、世尊が四つの条件を示しました。それが「四法成就」で、
諸仏に護念せらるることを為=自分は仏さまに生かされているのだと信じる。
徳本を植え=いつも善い行ないを心がける。
正定聚に入り=いつも正しい信仰者の仲間とともに暮らす。
一切衆生を救う心を発す=いつも人さまのためにつくす。
の四か条です。大切にしたいのは正定聚に入ることといわれています。
昔から「朱に交われば赤くなる」といわれているように、私たちは人や環境に影響を受けやすいものです。仲間が人の悪口を言いあったり、罵りあったり、人の過失や短所をあざけりあったりしていると、心ならずも同調してしまうものです。
ところが、いついかなるときにも、人や生き物、物や自然に対して、尊び敬い認めあい、自分と等しく大切に思いあえる仲間、お互いが「仏さまの子」であると信じあえる仲間というものは、なんとも居心地がよく、本来の自分でいられるものです。
ときには「仏の子」から「仏」になるために切磋琢磨しあう場面もあるでしょう。ですが、同じ信仰者同士、お互いを信じ、励まし、認めあっていますから、逆に勇気や希望がわいてきて、信頼感と一体感が高まっていきます。それが正定聚です。
四苦八苦(しくはっく)
「母親の介護で四苦八苦だよ」「職場の人間関係で四苦八苦!」という会話を耳にすることがあります。日常生活において、たいへんな苦労を背負っていたり、つらいことが多い状態だったりするときに使いますが、もともとは仏さまの教えに由来している言葉です。
「四苦」とは、生きていくうえで避けられない四つの大きな苦のことで、生まれることの苦しみ、老いることの苦しみ、病にかかることの苦しみ、そして、死ぬことの苦しみです。
さらに、社会生活における、大切な人と別れなければならない苦(愛別離苦)、会いたくない人と会わなければならない苦(怨憎会苦)、欲しいものが手に入らない苦(求不得苦)、そして、自分の意思に反して心身が思い通りにならない苦(五陰盛苦)を加えて「四苦八苦」といいます。
生老病死(しょうろうびょうし)
人間とは苦の存在であると仏教は説きます。とりわけ誰もが避けることのできない「生まれること」「老いること」「病にかかること」「死ぬこと」の四つは、避けられない苦しみです。
私たちは、安楽だった母親の胎内から、やっとの思いで生まれてきます。生まれれば、親子、きょうだい、学校、職場、地域のなかで、さまざまな苦しみを味わいながら生きていきます。また、どんなに健康に気をつけていても病気になることがあるでしょう。そして、どんなに「死にたくない」と思っても必ず死は訪れます。それが「生」「老」「病」「死」という四苦です。
た行
父毎に子を念う(ちちつねにこをおもう)妙法蓮華経譬諭品第三
かたときも子供のことが忘れられないのが親心です。どんなにおろかな衆生でも、常にその身の上を思ってくださるのが仏の慈悲です。
(『新釈法華三部経第3巻』著・庭野日敬 発行所/佼成出版)
な行
は行
光は智慧の象徴(ひかりはちえのしょうちょう)『法華経』序品第一
仏の眉間にある白い渦毛からパッと光が出て、天地のあらゆる世界を照らし出したのです。天地のどこを見ても、六趣に迷っている衆生の姿が見えます。しかも、どんな原因でそういう結果になったかということも、ハッキリ見えるのです。
(『改定 大乗仏道 仏教概論』第一部/著・宮下晴輝 発行所/本願寺出版、『新釈法華三部経第2巻』著・庭野日敬 発行所/佼成出版)